自分の価値を真に認められるって、
それは、無条件の受容ができたときだと、私は感じている。
アドラー心理学の自己肯定ではなく、自己受容の部分。
でも、その無条件の受容って、
頭でわかっていても、なかなかできないこと。
自分も子どもも他者に対しても、どうしても、どこかで、条件が付いてしまっている。
人が、無条件の受容をし、本当の自分の価値を見出すことができるのは
世間体、体裁、もうどうにも、取り繕うことができないようなどん底の時
頑張っても頑張っても、どうしようもなく悪い方へ行ってしまう。。。そんな打ちのめされるような経験をするところから、始まるのかもしれない。
自尊心、心から、かなりの血が流れ、かなりの痛みを伴うような。
命に真剣に向き合わざるを得ない、きっと、そんなときも。
その前に、無条件に自分を認め、子どもを認め、他者を認められたら、どんなにいいだろう。
それが人間のさが、なのかな。
それが、神様から与えられた、私たち人間が、人と繋がりながら、幸せを感じ、愛の世界へと移り生きるために、大切なこと、必要なこと、
乗り越えられる人生の宿題、なのかもしれない。
光と影、裏と表、プラスとマイナス、、、
どちらかでは成立しないんだね。
だからこそ、
どん底、自尊心ズタズタになり、命と向き合うような、影と感じるときがきたとしたら、
それは、きっと、更なる幸せ、光の世界への扉が開くとき。
そう思うことを、私は選んでいこうと思う。
たとえ、揺れたとしても。
私たちには、どんなときにも、繋がりの中で、自分らしく生きる価値があるのだから。。。
そんなことを感じた朝。
さぁ、今日は、避けてきた仕事に向き合うぞ!!
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