〜母性をデザインしよう〜
♡子育ての悩みは、心から芽吹くあなたの優気で、家族の幸せに姿を変える♡
アドラー心理学の勇気づけを軸に、家族の絆・安心感を応援しています。 親と子の心を繋ぐ専門家 澤田有心子です。
今日から、新学期スタート、学校が始まりましたね。
みなさんのお子さんは、どんな1日を過ごしていましたか?
朝日新聞によると、9月1日は、一年で一番自殺をする子どもが多い日だそうです。今日は、こちらを。
自殺。。。私のこの活動も、ある女の子の自殺の記事が、1つのきっかけとなりました。親子の悲しみを思うと胸が苦しくなります。今年は0人であってほしいと願うばかり。
今日は、いじめられていた私と母、一つの関わりの事例・今生きている私が思う一つの考え方を綴ります。
私は、小学校四年生の時
嫌がらせをうけ、とても辛かった時期がありました。
その自分を「惨めな自分」と、捉えていたので、母には、知られたくなくて、何にも言えませんでした。でも、学校嫌だなぁ。。。その気持ちは伝えられたような記憶があります。
特に嫌だったのは、学級会のある水曜日。
人前で話すことが苦手な私を茶化されて、学級委員にさせられていたので、進行をするために前にたつと、小さな声を責められて、固まるとまた責められて。。。声が出ない。。。
そんな状況があったからです。
友だちから責められる自分が、惨めで、情けなくて、自分でも嫌でね。。。だから、学級会の朝、家からでるのが嫌で嫌で。。。その感覚は、今でもまだ残っています。
そんなときの母はというと、いつもと変わらず家事をして慌ただしく動いていました。
今思えば、ただただ私が、学校へ行くのか、行かないのか、どちらか自分で決めるのを、
信じて、見守っていてくれていたのかな?!とも思います。
そして、私が「いってきます」ととぼとぼ歩いていくと、
玄関まで来てくれて、
「ゆみこ、いってらっしゃーい」とだけ声をかけてくれました。
この母の「ゆみこ、いってらっしゃーい!」の声と
背中から感じる母のあったかい「まなざし」が、なんとも心を包んでくれて
「うん!お母さん、頑張ってくるよ」
心の中で、覚悟を堅めた思いがあります。
その日もやっぱり責められて、惨めだったし、悔しかったし、悲しかったし、憎たらしかったし、いろんなマイナスな感情をいだいたけれど、
一人じゃない、応援してくれる母がいる、
声は小さいけれど、くじけながらも、みんなの前に立っていられました。
(今思うと、先生は何をしとったんだろう?横にある机に座っていた記憶があります。先生のことを肯定的にみて、先生になりたいと夢を持っていた私だったけれど、その先生のことは、好きじゃなかったな。)
他にもいろいろありましたが、
この時 味わった母のまなざしからの愛情。何ともあったかい感覚は、36年たった今でも、私の心を支えてくれています。
私には、帰る場所がある。いてもいい、居場所がある。
応援してくれて、帰りを待っていてくれる人がいる。
その、存在(命)の安心感・存在(命)の自信を
母からの
「ゆみこ、いってらっしゃーい」の一言と、「まなざし」から、私は、確かに感じられていたと思っています。
子どもが悩みを打ち明けてくれたとき、私たち母親が、ついついしてしまいがちなことは、
こどものためを思って、問題解決に向けて、「原因」を聞きだしていくことではないでしょうか?
私は、それが母親としての愛情だと思っていました。
でも、子どもたちの「目的」は、違うところにあるかもしれません。
小学4年の私が学校へ行きたくない
を打ち明けた目的は、(子どものころは自覚していませんが)
そんな辛い中でも、
「学校へ行かなくちゃ、行きたい」
だから、行くためのエネルギー源となる、
「私の気持ちをわかってくれる人がいる、確かな安心感」がほしかった
からだったと思います。
私の場合は
学校へ行きたくないという気持ちをちらっとだけど伝え、
そして、自分で悩む時間を「見守ってもらい」
「いってらっしゃーい」の言葉と母の「まなざし」から、得られたものでした。
このときの私は、行くことを選択していたけれど、
違う角度から見たら
行かないこと・自分を守ることを、選べなかった私の弱さでもあるかもしれません。
「理由を話し、だから嫌だ」という選択肢もあったのですが、理由をきちんと伝えることも、行かない選択をすることもできませんでした。
というより、「行かない選択肢がなかった」のだとも、思います。
学校へ行けない→学校へ行かない選択は、命を守ることに繋がる大切なことである時代。
行けないは、行かないでいい、状況・背景があるかもしれません。
私は、素直な気持ちを伝えられる、そのお子さんの強さ・家族の絆の深さの証でもあると思います。
どんな状況であれ、まず、
私たち母が、子どもたちに届けたい大切なことは、
学校に行く行かない、その解決策ではなくて、
どんなあなたでも、大丈夫。
いつでもお母さんは、あなたの味方。
そばにいるよ。
安心して悩んでいいよ。
その「家族という繋がりの中から生まれる安心感」だと、私は思っています。
どんなことがあっても、その安心感の中、
いつでも 子ども自らが、「行く」・「行かない」を選択していける。
私は、そんな家族の空気感を目指していきたいなと思います。
母にできることは、それだけなのかもしれないなと。
正解はなく、人ぞれぞれ、色々な想い・関わりがあると思います。
皆さんは、どんなことを大切にされていますか?
命に関わる悲しいことが起こらないように、
私なりの精一杯で目指していく ひとつの関わりのお話でした。
今日も一日、お疲れ様でした。
ママは、もうひと頑張りしましょうね。
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
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